記事のアーカイブ
2012年03月25日 20:13
クリスマスローズが咲いた。
3鉢の内2鉢は、雪にやられたせいか元気がないが、この色だけはたくさん花をつけている。
元々はクリスマスの頃に咲くバラに似た花ということで、名前がついたのだろうが、我が家はいつも3月の終わりに咲くので、やはり早春のイメージがある。
自然界のすべてに意味があるとしたら、クリスマスローズがうつむいて咲くのには、どんな意味があるのだろう。
やっと春がくる。
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2012年03月24日 17:48
今年は本当に厳しい寒さでした。
それでも季節はよくしたもので、彼岸が過ぎると一気に春めいてきます。
知らない間に、ふきのとうがもうすっかり大きくなっていました。
庭の花壇もようやく芽を出し始め、水仙が咲きだしました。
黄水仙はもっと暖かくなってからですが・・・。
梅の蕾も膨らんでいます。
紫陽花やバラも元気に動き出しました。
やはり春はいいですね〜。
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2012年03月22日 17:45
裏庭の椿が散っていく
散りてなお 空を見上げし 落ち椿
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2012年02月12日 17:42
春なんて来るのだろうかと思えるような毎日。
ほとんどネット引きこもり状態。
そんな毎日だからなおさら、ちょっとしたことに感動する。
うつむいてばかりいたって仕方ないと、また顔を上げる。
裏庭の椿が少しずつ咲き始めた。
2階の窓に届くほど大きくなった木は、毎年枝がしなるほどにたくさんの花をつける。
遅咲きの梅はまだまだ蕾がかたいので、椿は我が家に春を一番先に知らせてくれる。かすかに春の息づかいが聞こえるようだ。
満開の花で木が覆われる頃には、きっと素敵なことが待っていそうな気がする。
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2011年11月10日 17:39
ラベルの色に魅せられて購入したバラが、その年だけ咲いてそのあとずっと咲かなかった。
一時は、葉が落ちてしまってもう駄目かと思った。
それでも根気良く世話をしていると、今年やっと思い通りの花が咲いた。
ラベルの色は、まるで夕焼けの茜のようなだったが、まあ仕方ない。
ピンクのマチルダは、春にいっぱい咲きすぎたからか、秋は思うように咲かなかった。
その分この「茜」(名前を忘れたので、勝手に命名)が、楽しませてくれた。
蕾があと二つついているが、今年はこれがきっと最後のバラだろう。
バラは、面倒くさいしなかなかうまく咲いてくれないが、だからこそきれいに咲いたときは、心の中まで光がさすような気がする。
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2011年11月07日 17:35
白く時雨れる山々。
山茶花は寂しげに咲き、花びらを白く散らしていく。
何もない山里には、冬が待っているだけ。
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2011年10月29日 17:06
我が家の庭に小鳥たちがたくさんやってくる。
スズメガ多いが、時にはヒヨや名前を知らない鳥も飛んでくる。
南天・千両・万両などの実を食べにくるのだ。
特に南天がおいしいのか、正月用に使いたいと思っても、ほとんどなくなっている。
小鳥たちがあちこちに種を落としていくので、庭のいたるところに植えもしないものが顔を出す。
植物は、鳥に運んでもらうために、鮮やかな実をつけるのかもしれない。
小紫もそうやって小鳥が、どこからか運んできたのだろう。
もう随分前のことだが、ある日庭の隅に紫の実を見つけた。
年を追うごとに大きくなり、今では大きな株になって、枝一面に実をつけている。
小紫の花は、よく見ないとわか
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2011年10月14日 16:55
山野草は、山の中で咲くのが一番美しいのかもしれない。
そうと思っていても、自分の家で咲かせたいと思ってしまう。
あけぼの草を見つけたのは、まったくの偶然だった。
名前がわからなかったので、SNSで日記を書くと、「曙草」だとコメントがあった。
湿地に普通に咲いているらしいが、見たのは初めてだった。
多年草で花が見られるのは、2年に1回。
去年採ってきて植えていたものが、今年やっと咲いた。
宿根草ではないので、種を採るしかないが、小さな種なので来年生える可能性は極めて少なそうだ。
それがまたいいのかもしれない。
こういう慎ましく咲く花も美しいと思う。
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2011年06月20日 13:04
♪雨音に気付いて遅く起きた朝は
まだベッドの中で半分眠りたい (ユーミン)
夜勤明けの休みの朝は、いつも遅くまで寝てしまう。
5日間頑張ったせめてもの贅沢。
こんな日は、雨も心地いい。
紫陽花も少しはらしくなってきた。
一雨ごとに色づいていくのを眺めていると、そんなに急がなくてもいいのではないかと思ってしまう。
色づく前の予感というか、期待みたいなものがうれしい。
あとはしおれて行く満開よりも、少し前の花が好きだ。
今一番のお気に入りの白い紫陽花。気品さえ漂う。
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2011年06月19日 13:00
毎年この時期になると、ホタルまつりが行われる。
ホタルが毎年明りを灯すためには、それなりの努力が必要だが、訪れる人は一夜の幻想の世界に酔い、そんなことは考えもしないのだと思う。
私たちだってとりわけホタルのためというよりも、自分たちが快適に過ごすためにやっていることが、結果的にホタルが住める環境を作り出しているのだから、それはそれでいいのだが・・・。
せめて一晩だけでも、子供の頃に見た当たり前にあった世界を思い出してもらえれば・・・。
失われていくもの失ったものに対する郷愁が、心に残れば・・・。
何も変わらない田舎も、注意して見ると変わっていく。
昔はあぜ道のどこにでも咲いていたアザミやホタル
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