夢はいつかは醒めるけど、はかなく切ない夢の時を生きて行こう
さよなら kenny
2009年06月28日 15:41新聞の片隅にケニー・ランキンの死亡記事が小さく載っていた。
70年代後半から80年代にかけて、シティミュージックやAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)など、アダルトコンテンポラリーな音楽がブームになっていた。
マイケル・フランクス、ボス・スキャグス、スティーブン・ビショップ・・・など、ソフト&メロウな音楽が盛んに流れていた。
ケニー・ランキンもその中の一人だった。
最初はラジオから流れるのを聴いたのだろうが、一度にとりこになってしまった。
神戸まで行ってようやく入手したCDは輸入版だった。「professional dreamer」この一枚が、運命的な出会いだった。
一曲目の「You'd Be So Nice To Come Home To」の出だし、ベースの音が響いたとたん、私は完全に打ちのめされた。
それはそれまで聴いていた音楽とはまるで違う、まさに大人の音楽だった。
毎日毎日夢中になって聴いた。それから神戸へ行く機会があるごとに、CDを買った。輸入版しかなくて、詳細はわからなかったが、そんなものは必要なかった。
当時私は、仕事に追われ、職場と家とを往復するだけの毎日だった。仕事の疲れも人間関係のストレスも、全部ケニーが癒してくれた。
やがてAORはすたれ、マイケル・フランクスに代表されるソフトロックへ行ったり、その名を忘れられたりした。ケニーはジャズやボサノバへと向っていった。
何度も来日したが、とうとうライブに行くことはなく終わった。新しいアルバムも準備していたようだが、病には勝てず帰らぬ人となった。
kennyといえば、一時一世を風靡したケニーGやカントリーの大御所ケニー・ロジャース、フットルースのケニー・ロギンスなどが有名だったが、私にとってケニーは、ケニー・ランキンだった。
さよならケニー、ありがとうケニー。
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