夢はいつかは醒めるけど、はかなく切ない夢の時を生きて行こう


人生の黄昏 「花はどこへ行った」

2009年07月01日 15:44

私は高校に入ってから洋楽を聴くようになった。
大袈裟にいえば生き方を決定づけた、あのビートルズとも高校で出会うのだが、それはまた別の話だ。
初めての洋楽は、フォークソングだった。ボブディラン、ジョーンバエズ、PPM・・・。
反戦には特別関心があったわけではなく、ただ音楽として楽しんでいた。
中でもPPMの曲が好きだった。気の合うクラスの仲間と、意味もわからず無茶苦茶な英語で歌っていた。
シューシューシュラルー シュラーラクシャク シュラババクー
まるで呪文のような歌詞も、気にせずに新しい音楽に触れたことがとくかくうれしかった。

最近メールを始めた人に、そんなことを書いているうちに懐かしくなって、ネットの動画を検索した。
当時の懐かしいモノクロの映像が何点かアップされていた。どの曲も昔みんなでよく歌ったもので、まるで高校生に戻ったようだった。
そんな古い動画に混じって、最近の(といってもいつのものかは不明だが)ものもあった。ピート・シーガーのおまけまでついている。
高校生だった自分がいい歳になったのだから、彼らだって当然それ相応の歳になっている。ピーターもポールもとてもいい感じのおじいさんになっていて、思わす笑みがこぼれた。あの細くてきゃしゃなマリーが、太っちょのおばあさんになっていたのには、少なからず驚かされた。それも杖をついてステージに立っていた。
けれど音楽が始まってその歌声を聴いたとき、胸が熱くなった。昔と少しも変わっていないのだ。いやもしかしたら変わっているのかもしれない。
けれど私を高校生に戻すのには充分だったし、歳月が歌をより深いものにしていた。

時は残酷だ。そして人はそれに逆らうことはできない。
時の過ぎ行くままに、その流れに身を委ねなければならない。
けれど変わらないものもあるし、時を重ねることによって、新しく生まれてくるものもある。
20代には20代の、60代には60代の花が咲くに違いない。

誰の言葉だったか思い出せないが、いつも心に残っている言葉がある。
「私が造化の神なら、人生の黄昏に青春を置くだろう」
彼らの音楽を口ずさみながら、できればそんな黄昏を迎えたいものだと思った。

 

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