夢はいつかは醒めるけど、はかなく切ない夢の時を生きて行こう


夢の形ー朧げなるもの

2009年07月09日 15:46

息子が二浪の末念願の東京芸大へ入ったのが、ついこの間のような気がする。
変わり映えしない日常も、確実に時を刻んでいく。
4年間の大学生活を終え、当然のように大学院へ進んだ。普段は大人しくてやさしいが、頑固なところは子供の頃から変わらない。親がどう言おうと自分が決めれば決めたようにする。
その大学院の2年間も、あっという間に終わった。これで最後になると思い、2月の修了作品展を見に、上野まで足を運んだ。
大学の卒業展とは、明らかに作品が違っていた。さらに抽象的になり理解しがたいものになっていたが、それは彼が、より自分の内面に向って突き詰めているように思えた。

大学院へ進んでからは、クラゲをモチーフにした彫刻(木彫)をしている。
どうしてクラゲなんだと思うが、あのふわふわと海に漂う捉えどころのないものに惹かれるらしい。
それはただのクラゲではなく、捉えどころのないすべてのものを象徴しているのかもしれない。人の思いや存在や、もしかしたら今生きていることそのもの。
そしてそれは、彼がこれから探していこうとしているモノが、いかに困難なものかを表しているかのようだった。

東京芸大のある台東区は、大学に色々な支援をしている。

台東区では、東京藝術大学との芸術・文化交流の一環として、昭和56年度から優秀な卒業作品(日本画、油画)の制作者に「台東区長賞」を授与してきました。
さらに、平成20年度から彫刻や工芸・デザインなどの分野で学ぶ学生の育成・支援を図るため、優秀な卒業・修了作品の制作者に「台東区長奨励賞」を授与することといたしました。
区民の皆様をはじめ多くの方々に鑑賞いただけるよう、上野中央通り地下歩道内展示ブースに台東区長奨励賞受賞作品を展示しました。是非、お立ち寄り下さい。
(台東区ホームページから抜粋)

修了展を見ていると、ちょうど台東区のケーブルテレビが取材に来た。息子の作品の前でカメラを回し、女性がしきりに息子と話をしている。
あとで聞くと「台東区長奨励賞」に選ばれたと言うのだ。
修了展に行くといったときも、そんな話はまったくしていなかった。あらためて彼らしいと、夫婦で苦笑した。うれしくないわけではないだろうし、きっと喜んでいるに違いない。それでも別に大したことじゃないとでもいうふうに、にこにこしているだけ。
どうしてこんな子が、芸術家を目指したのだろうと、不思議な気がする。

私たちはもとより身内に芸術家などいない。田舎の極普通の環境で育った。特別そういう教育をしたわけでもない。けれど彼にしてみれば、自分の好きなこと、したいことをやろうとしているだけなのかもしれない。
それは私ができなかった夢を見続けるということを、やっているのだろう。

夢など見ていても生きていけないと思っていた。今もその思いは変わらない。
けれど夢を見ていなければ生きてはいけない。今はそう思うようになった。
その夢がやっと形になりかけたような気がする。
高校から11年間ずっと夢見てきたことが、ほんの少し形を現してきたのかもしれない。

 

駅へ向う途中の上野公園は小雨が降っていた。
親子三人傘を並べて歩きながら息子が言った。
「もう一年大学院に残る」
二人とも顔を見合わせて何も言えなかった。言う必要もなかったのかもしれない。

見上げれば傘の上、緋寒桜が雨に冷たそうに咲いていた。

 

 

—————

戻る