夢はいつかは醒めるけど、はかなく切ない夢の時を生きて行こう


帰らんちゃよか

2008年09月28日 11:27

私は演歌はあまり聴かない。別に嫌いということではないけれど、CDを買ってまで聴こうとは思わない。演歌に限らずもう長いことCDは買っていないが・・・。
インターネットは、そんな私には便利にできている。最近の動画サイトではいろいろなものが楽しめる。
YouTubeでつい聴き入ってしまったのが、島津亜矢の「帰らんちゃよか」。これは関島秀樹の「生きたらよか」が原曲らしいが、彼女のオリジナルといってもいいくらい秀逸。
故郷の父親が都会の息子を思う歌詞は、自分と重なって琴線を震わす。こういう歌にぐっとくるのは、それだけ歳をとったということだろう。

 

私の両親は、私に「帰らんちゃよか」とは言ってくれなかった。「思ったとおりに生きたらよか」とは言ってくれなかった。何もないところから土地を買い家を建て、少しの田畑に這い蹲るように生きてきた両親にとって、それは選択の余地などなかった。
そんなことは充分わかっていたから、私にも他の選択はしようがなかった。そのことで自分の人生が決まってしまったなどとは思わないし、両親を恨んでもいない。たとえ「帰らんちゃよか」と言ってくれていたとしても、果たしてそれが幸せな人生に繋がっていたという保障はない。
もちろんやりたいことはあったけれど、それができなかったのは、親のせいではもちろんない。それに自分の今までの生活にそう後悔しているわけではない。

自分のこととは関係なく、息子には好きなように生きて欲しいと思う。
2浪の末念願の芸大に入った息子は、4年で卒業した。これで少しは楽になると思ったけれど、そう甘くないのが世の常。彼は当然のように大学院へ進んだ。その大学院も来年の春で終わる。
浪人したのがついこの間のような気がするのに、もう8年が経とうとしているのだ。何も変わり映えしない日常も、時は確実に刻んでいる。
来年の春に彼がどんな選択をするのか私にはまったく予想もつかないが、どんな道を選んでも本人が選んだ道であれば、それが一番なのだと思う。
夫婦二人の生活が当たり前になって、むしろ快適とも思えるようになった。守るほどの家ではないし、帰ってくるほどの場所でもない。
息子が好きなように生きてそれで本人が幸せなら、親にとっても一番幸せなことだから。

心配せんでよか心配せんでよか
親のためにお前の生き方かえんでよか
どうせおれたちゃ先に行くとやけん
お前は思ったとおりに生きたらよか

(帰らんちゃよか/関島秀樹)

—————

戻る