夢はいつかは醒めるけど、はかなく切ない夢の時を生きて行こう


錦繍に思うー若年性認知症

2009年11月16日 16:01

深夜、テレビでドキュメンタリーをやっていた。
若年性認知症を16年間患って、62歳で亡くなった男性と奥さんの日常。
途中から見たが、自分のことも奥さんの名前もわからなくなっていた。
各地で講演を行っていて、最後の講演のビデオでの言葉に胸が痛んだ。
「おかあちゃん(奥さん)のことを憶えていたいのに、忘れてしまいます。けれど私の心の中にはずっと残っていると思いたい。」

自宅介護ができなくなり最後は施設で、家族に見守られながら今年の8月に息を引き取った。
奥さんが、日々の様子や胸の思いを綴った日記が出版されている。
「もし夫が若年性認知症になっていなかったら、幸せだったと思います。」
そして
「もし夫が若年性認知症になっていなかったら、幸せだったと気付かなかったと思います。」
32年間の半分は闘病生活の夫婦の最後の言葉は、あまりにもせつない。

人の幸せとはそんなものだろうか。
哀しみと引き換えにしか手に入れられないものだろうか。
失わなければ、実感できないのだとしたら、幸せとは一体なんだろう。

誰もが幸せになりたくて、一生懸命生きている。
絶対的な幸せなどないとわかっているけれど、自分の思いの中にしか幸せはないのだろうか。
もしかしたら、それは人の術ではどうにもできない、神の領域のことなのかもしれない。
キリスト教とか何々教という人間が作った宗教の神ではなくて、この宇宙を創った絶対的なものとしての「神」。

宮本輝が「錦繍」で言っているように、出会いも別れも、喜びも哀しみも、そして生きることや死ぬことさえも、もしかしたら大きな宇宙の不思議なからくりによって、決定づけられているのかもしれない。
壮大な宇宙から見れば、人間の一生なんて針の穴ほどもない短いものだろう。そんな一瞬にもがき苦しんだり喜んだり、泣いたり笑ったり、幸せだったり不幸せだったり・・・。
だとしたら、幸せと不幸せは、ほんのわずかの違いだけなのだと思う。
最期はみんな宇宙の藻屑となって消えてしまうのだから。

 

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